協会設立目的
第2次世界大戦が終熄するまでのブッダガヤには、古代ビルマ王朝が礎いて以来イスラム・ムガール帝国期を除きつねに大菩提寺大塔の修復や聖菩提樹の保護にあたってきたビルマ寺のほか、アショーカ王時代に聖菩提樹の株分けを受けた縁のあるスリランカ寺、1893年シカゴで開催の万国宗教者会議で目覚めた中国仏教界が国父孫文の慰霊に建立した中華寺が存在するのみでした。
そうした中、インド独立後の1956年、非同盟諸国会議のリーダーとして世界平和の政治的指導者と目されていたジャワハルラル・ネルー首相の提唱を受けたインド政府が1956年、2500 years of Buddhism(仏教2500年祭):サブタイトル; 2500th Aniversary of the Mahaparinirvana of The Buddha=ブッダ涅槃2500年行事)を開催、これを機に、インド中央政府はブッダガヤの地元ビハール州政府を督励し、「釈尊ご成道の聖地ブッダガヤに国際社会を建設し、数次の世界戦争を経験してきた人類の末永い国際融和と平和の拠点としよう」とするプロジェクトを策定し、提唱者であるネルー首相みずから率先して各国に呼びかけて廻りました。
憲法で仏教を国教と定めていたタイ国が先ずこの呼びかけに応じ、続いてネルー首相はこの呼びかけ先の本命であった日本を平和の象徴であり仏種の象徴である象のインディラを土産に訪問し、日本政府にブッダガヤ招請を呼びかけましたが、できたばかりの憲法による政教分離の建前もあり、2度に亘る訪問にもかかわらず日本政府はこれに答えることができませんでした。
これを憂えた先達たちの『先進国とよばれ、仏教国として認識され、豊かな国民性は仏教の長い伝統によるものとして親しまれている日本の「寺」が、大恩あるインドの呼びかけにも関わらずブッダガヤの地に建設されないままで良いものか? 何とかしようではないか』との、ブッダガヤ復興に尽くす事での仏恩報謝の念に基づく真摯な呼びかけが、やがて日本仏教諸宗派・寺派、諸団体による宗派や信仰形態の違いを超えての賛同を得るに至り、これに当時の学界・財界・民間も協力しての組織結成と、1968年(昭和43年)の文部大臣による財団法人設立認可に至りました。 日本はタイに続いてインド独立後2番目のブッダガヤ招請呼応の面目でした。
当協会の設立の目的は、一にかかって仏恩報謝の実践にあり、現実的には、ブッダガヤを2600年余の長きに渡って護持して来られたブッダガヤ住民への感謝とブッダガヤ復興への尽力、困窮している現地住民へのたゆまぬ布施の実践と現実的サポート、すなわち宗教福祉事業の展開を目指してのことに他なりません。